4/23/2006

Wired Sky


Wired_Sky01
Originally uploaded by Yoichiro.



僕たちが生まれたときには空はすでにこんなだったので、日頃は全く違和感がないわけだが、眼鏡の汚れと同じで、ふと気が付いてしまうと、とても目障りになってしまう。眼鏡の汚れならば拭けばよいが、この街中に張り巡らされた線はそういうわけにはいかない。日本の都市景観の話になると必ず電線の話が持ち上がり、埋めるという解で落ち着くことになる。しかし、実は車道に埋めるとなると深く埋めなければならずコストがかかってしまうので、十分な幅の歩道がないとなかなか埋められないのである。それにいくら歩道があっても手当たり次第に埋めるというわけにはいかないだろう。僕の敬愛するO先生はこの話になると、いらなくなった電柱がどうなるのかということが気になるといつもおっしゃっていた。

そういえばO先生は、僕の先輩が電線のある風景も絵になると言ったことに触れ、あれはない方が良いに決まっていると言っていたような気がする。先輩の言うことも分かるし、O先生が否定した理由も分かる。僕らの共通の関心事はあれが文化的にみえるかどうかということだろう。

竈からあがる炊煙なんてない時代、あの線が目に見える人の生活の象徴といえなくもない。惜しむらくは、外からあの中に何が流れているのか全く分からないことだ。非常にスタティックなあの真っ黒い線は、圧倒的な必要性から我が物顔でのさばっているようにみえてしまう。謙虚さもあれば、少しは可愛げがあったかもしれないが疎まれて当然とも思える。

いずれにしても、僕の予想ではいつか日本の街から電線が消え、残されたわずかな電線と電柱の密集街区が文化財指定される日が来ることになっている。

2/24/2006

Kumano - 熊野 - a sanctuary


霧の那智
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大門坂
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Kumano is the Japanese sanctuary. But, there is no boundary in this sanctuary. Pilgrim to three shrines of Kumano is permitted only walking. Pilgrims while repeating the ceremony, walks the mountain path from Kyoto to Kumano. Fear to nature and this body and mental experience gives meaning as sanctuary to the space.
World Heritage


【 Japanese 】
人と空間の関係は常に不可解なものである。例えば、誰しも荘厳な教会や静寂な寺院では、信仰心によらずとも「聖なる」という感情を覚えた経験があると思うが、そこには人と空間の関係の秘密が隠されている。そこで、この興味深い現象について、日本の聖地である熊野を取り上げて考えてみたい。

平安より続く熊野詣は、京都から徒歩で聖地熊野の三社をめざす巡礼の旅である。熊野が聖地とみなされた理由は、京都からの方位、紀伊山地により地形的に閉ざされていること、修験の台頭、浄土思想の広がりなどいくつもある。

しかし、熊野には他の世界的な聖地にみられるような城壁や塔など聖域の境界や象徴はない。巡礼者は藤原定家の日記にあるように、ただ険しい山道を歩き、自然への畏怖におののきながら儀式を繰り返し、案内人である修験者が示す聖なる記しにより聖域へと入っていく実感を覚えることになる。

また、熊野は日本においてもきわめて雨が多い地域で、地形地質も特殊であり、景観や気象により異世界を感じることができる地域である。すなわち、この複雑な身体的・精神的経験が空間を「聖別」させるのである。

ところで、意識してみると、人は聖域においてのみでなく、私の「部屋」や「街」など、日常的に空間に意味を見出していることに気がつく。何がその現象のきっかけになっているのか立ち止まって考えてみると、とても面白いと思う。

1/22/2006

The tower in the snow


tower01
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昨日は東京は久しぶりに雪だった。僕は前から写真を撮りに行こうと思っていたある塔へと向かった。

本当は空と雲を背景に撮りたいと思っていた。朝起きると雪が降っていて、いつも通勤電車の中から眺めている塔を思い出した。きっと幻想的な風景になっているだろう。午前中の会議の後、その足で赤羽へ。

僕は建築として評価するだけの知識がないので、単純に印象でしか表現できないのだが、コンクリートのシンプルな造形は非常に美しいと思う。雪は全てのイメージを変えてしまうけれど、この塔は雪の日の方が僕の抱いているイメージに合っている。まるでカフカの『城』のようにいつも見えているのに誰もそこへは行けない。そんな感じである。あるいはラプンツェルが幽閉されている塔を思い出させるかもしれない。とにかくあの塔で何が行われているかは誰も知らないのだ。権威や信仰の象徴、どのようなかたちであれ塔は常に沈黙の存在であり我々の生活とはかけ離れた存在である。

しかし、現代にそんな童話的なものが存在しうるのか。タネを明かせばこういうことである。実は、この塔では何も行われていないということだ。正確には塔ですらないのだから。これは、 石山修武氏の設計による東京都北区の清掃工場の煙突である。そこには何もないということである。しかし、この街ではこの塔がケヴィン・リンチがいうところのランドマークであることは間違いない。この街で毎日おこるありとあらゆる出来事の背景にはこの塔がそびえている。

塔とは都市にとってなんであるかという建築家・故内井昭蔵氏の講演をむかし聞いたことを思い出す。うろ覚えだが塔は世界につながる大きな樹の象徴であるといったような話だった。もう忘れてしまったので今解釈すれば、それは僕たち小さな存在を時間的にも空間的にも越えているものが中心にあることにより、我々の存在の錨となり、世界につなぎ止めてくれるということか。そして内井氏が関わった有名な塔のひとつが論争を生んだこのビルディングである。(六本木ヒルズより撮影)

そして答えの見付からないまま沈黙の塔だけが増えてゆく。


another tower
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