11/12/2006

HUNDERTWASSER


HundertwasserHousVienna
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フンデルトヴァッサー。彼は建築家ではなく、芸術家である。多くのドローイングや版画、空想の建築や街の模型などの彼の作品は、彼自身がデザインした(正確には再設計した)Kunst Haus Wienに恒久的に展示されている。彼の建築模型は植物に覆われているか、あるいは内部から樹木が生えている。直線、定規、T定規の独裁に抗い、フリーハンドか、あるいは人や動物が歩いた跡のような線で不思議な調和がもたらされている。柱や床さえも水平と垂直の束縛から解き放たれ、全ての輝く色にあふれている。街は丸ごと大地に埋まり、目や口のような窓や出入り口が、土地の起伏の谷間に見えるのみである。彼の根底にあったものは、自然と人間の創造性の調和が取れた関係の回復。人間性の破壊に対する抵抗。

彼の建築思想はいくつかの建築によって実現されている。最も魅力的なものはおそらく、ウィーンの中心市街に位置する市営住宅Hundertwasser Hous である。そして、建築の治療、つまり建築医としての最も有名な仕事は、ウィーンにあるシュピッテラウ地区暖房施設の再設計である。このゴミ焼却場であると共に地区の集中暖房施設である工場は、ある事情により日本では知っている人が多い。

それは、大阪市がフンデルトヴァッサーにデザインを依頼し、大阪湾の人工島に建設されたゴミ処理施設、舞洲工場へのメディアによる批判によってである。この報道により初めてウィーンのシュピッテラウ地区暖房施設を知った人は少なくないはずである。批判の中心は、建設費が莫大であること、建設にあたっての検討が市民不在のまますすめられ、建設された後もほとんど市民に知られていないことなどであった。しかし、気をつけなければならないのは、中にはゴミ処理施設の外観として相応しくない、公共建築には機能のみを求めるべきであるといった意見があったことである。これは危険な誤解を含んでいる。フンデルトヴァッサーのデザインが大阪に必要であったかどうかは議論するべきだが、あれだけ巨大な公共施設を機能を満たすだけの建築として都市に出現させることは犯罪的であるといわなければならない。そのような考え方の結果が、まるで芸術や文化を否定するかのように無批判的な建築にあふれた私たちの都市である(都市と呼んでよければ)。こんな都市をつくっておきながら芸術文化振興など空々しくはないだろうか。公共建築は建築のみにとどまらず、都市の文化を牽引するものでなければならないというのは、ある世界では、極めて基本的な認識ではなかったか。



舞洲工場 Maishima
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最後に結論として私も舞洲工場にフンデルトヴァッサーのデザインは必要ではなかったと考えていることを、シュピッテラウと舞洲工場の次の3つの相違により示したい。こういう議論が日本の都市でもっと展開されるようになって欲しいという願いから。

1.フンデルトヴァッサーにとっての建築による表現は、アドルフ・ロースとの対決であり、グスタフ・クリムトとの協調であり、オットー・ワーグナーとの対話である。つまり彼はウィーンと共にある。

2.フンデルトヴァッサーはシュピッテラウ地区暖房施設の設計を新たな文化遺産の創造として誇りを持って行ったのであり、そのため報酬は受け取っていないどころか、かなりを自己負担している。

3.シュピッテラウ地区暖房施設は、人間味を失った建築の治療として再設計されたものである。

9/04/2006

France’s Most Beautiful Villages


Vézelay1
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Vézelay2
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「フランスの最も美しい村々」という魅惑的な響きに惹かれて、その内の1つ村を訪れた。

フランスでは、1982年に設立された「フランスの最も美しい村々」(les Plus Beaux Villages de France)というNPOによって、現在144の村が「フランスの最も美しい村」として認定されている。認定されると公式ガイドブックやサイトで紹介され、その他の旅行会社や旅行雑誌にも掲載されるようになる。もちろん村おこしが目的ではあるが、厳しい登録基準が複数もうけられており、例えば次に挙げるように、なかなか面白い内容である。

・人口が2千人以下であること
・史蹟建造物の認定をうけた建物がある地域、または風致地区と認められた地域、あるいはその両方が2カ所以上存在すること。
・村の周辺の道路網を完備していること
・村の建物の外観(大きさ、屋根や窓の形や色等)に均質性と調和があること
・電線を地下埋め込みにする、花や植物による装飾等、村全体の美化の努力がなされていること
・観光案内所、宿泊施設等、観光客の受け入れ体制が整っていること
(引用文献:辻啓一著『フランスの「美しい村」を訪ねて』)

これらは登録基準のほんの一部だそうだ。人口2千人以下の村に観光案内所・宿泊施設を求めるのは難しいだろうと思うが、登録されている中には人口数百人も村もあるので驚きである。それだけ人が訪れて、経済効果が出ているということなのかもしれない。

僕が訪れたのはヴェズレー(Vézelay)という村で、パリから電車とタクシーで○時間ぐらいで着くはずだったが、途中、ちょっとした間違いでCravantという本当に小さな村の駅でおいてけぼりを食い、3時間ほど散歩することになってしまった。しかし、思い返してみるとCravantの方が僕の持っていた「フランスの最も美しい村」のイメージに近かったので、偶然にも短い滞在ができたことは幸福であったと思う。144の村々からヴェズレーを選んだのは、パリから数日の小旅行で訪れることができる村だからで、その他の候補地は、最寄り駅からタクシーで80kmなど、小旅行の気分で行ける感じではなかった。

ヴェズレーは、ブルゴーニュ地方の果てしなく続く平原の小高い丘の上に立つ小さな村であり、頂きのサント・マドレーヌ聖堂を中心に城壁に囲まれた美しい町並みが形成されていた。メインストリートは聖堂へ続く坂道の参道であり、みやげ物屋や食堂、宿が両側に並んでいる。詳しい説明は省略するが、ヴェズレーは、十字軍と関係があったり、スペインのサンティアゴ・デ・コンポステッラへの巡礼道の起点であったりと歴史的に重要な意味のある村であり、実は世界遺産にも登録されている。そのため小さな村ながら観光地としてよく整備されていたことが予想外であった。だから、本当に何にもないCravantの方が僕の「美しい村」のイメージにあったのだと思う。

しかし、聖堂の裏庭から、緩やかに起伏の線を描く牧草地と葡萄畑が永遠に続く風景を見たとき、またその牧草地を囲む生垣に沿って小径を散歩しながら遠くに白い牛の群れを眺めたとき、ああ、これが見たかったのだと思った。こういう風景を美しいと思うのは、僕のどの経験が起源なのか、または、いつすり込まれたのか。なぜ、こんなところまで来てしまうのか、自分でも不思議である。
しかし、それが僕だけではないから「フランスの最も美しい村々」があるわけで、まんまと乗せられているのだが、望まれて来ている分、ストレンジャーが小さな村をうろうろしている時の後ろめたさがなくて良い。

ところで、日本にも「日本で最も美しい村」連合なるものがあるらしい。日本にも本当に美しい風景がある。その風景を求めてフランス人が日本の村を訪れるようなことになったら面白いなと思うので、まずは自分で出かけて見よう。

7/08/2006

大都市軸 Axe majeur


Axe majeur 04
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Axe majeur 05
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Earthworks has left the city to deny the white cube. However, a lot of earthworks are in the city today. I think a modern identity-less city requests the sitespecific art. ‘Axe majeur’ in Cergy Pontoise is the one example.

【 Japanese 】
フランスへ旅行に行った。今回は、あまり見るものを決めずに行こうと思っていたのだが、せっかくだから一カ所ぐらいはと、パリの北西、セルジー・ポントワーズ Cergy Pontoiseに行った。彫刻家ダニ・カラヴァン Dani Karavanの「大都市軸 Axe majeur 」を見るために。

セルジー・ポントワーズは、セーヌの支流、オワーズ川の段丘上に築かれた新都市である。そして、その丘の上の塔を起点とする強い軸線は、坂を下って、12本の列柱を通り抜け、池に向かって階段を下り、パリを指している、ということである。ここに立ってそれを確かめることは不可能ではあるのだが。
パリの衛星都市なのだから、パリとの関係によって成り立つ。そのことを象徴する軸線が一直線に刻まれ、新都市の秩序の基線となる。
そんなものが、一体なぜ都市に必要なのか。そして、なぜその機能が芸術作品に求められたのか。僕の興味は、まあそんなところだったと思う。

ところで、もし「大都市軸 Axe majeur 」をアースワークと呼ぶとしたら、かつてのアースワークとの間に線を引かなければならないだろう。つまり教科書的にいえば、アースワークには特定の場所との関係により成り立つ、サイトスペシフィックであるという側面に加えて、空間も時間も文化も越えて交換可能なホワイトキューブへの反発として、人跡未踏の地にとうてい美術館には納まらない作品をつくるという側面があったはずである。(結局、作品は写真になってホワイトキューブに帰ってきたというオチはあるけど・・・。)
然るにこの作品はパリから電車に乗れば、1時間もかからずに気軽に見に行けてしまうのである。たいした知識があるわけではないが、こういう「気軽に行けちゃうアースワーク」は、本来のアースワークとは対照的に増えているような気がする。これは、結構面白い現象なのではないかと思っているのである。

そんなことについて何となく考えていると「ホワイトキューブ化された都市に、サイトスペシフィックな芸術作品が求められる」という命題が浮かび上がってきて、現代的な都市を象徴する現象かもしれないなと思った。本来、人間にはここが何処であるかを保証するものが必要なのだと思う。

ランドスケープアーキテクト的な言葉では、「眠る地霊を呼び覚ますか、虚構の地霊を祀るか」といったところか。カラヴァンの作品には、どちらとも取れるところがあるが、見る側もきっと両方に魅力を感じるのだと思う。

参考

※これを書きながら「サイトスペシフィックな生活」という言葉が浮かんだのだけれども、ウィーン分離派のいうところの「綜合芸術」と近い言葉だと感じている。いつかこのことについて考えたい。

4/23/2006

Wired Sky


Wired_Sky01
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僕たちが生まれたときには空はすでにこんなだったので、日頃は全く違和感がないわけだが、眼鏡の汚れと同じで、ふと気が付いてしまうと、とても目障りになってしまう。眼鏡の汚れならば拭けばよいが、この街中に張り巡らされた線はそういうわけにはいかない。日本の都市景観の話になると必ず電線の話が持ち上がり、埋めるという解で落ち着くことになる。しかし、実は車道に埋めるとなると深く埋めなければならずコストがかかってしまうので、十分な幅の歩道がないとなかなか埋められないのである。それにいくら歩道があっても手当たり次第に埋めるというわけにはいかないだろう。僕の敬愛するO先生はこの話になると、いらなくなった電柱がどうなるのかということが気になるといつもおっしゃっていた。

そういえばO先生は、僕の先輩が電線のある風景も絵になると言ったことに触れ、あれはない方が良いに決まっていると言っていたような気がする。先輩の言うことも分かるし、O先生が否定した理由も分かる。僕らの共通の関心事はあれが文化的にみえるかどうかということだろう。

竈からあがる炊煙なんてない時代、あの線が目に見える人の生活の象徴といえなくもない。惜しむらくは、外からあの中に何が流れているのか全く分からないことだ。非常にスタティックなあの真っ黒い線は、圧倒的な必要性から我が物顔でのさばっているようにみえてしまう。謙虚さもあれば、少しは可愛げがあったかもしれないが疎まれて当然とも思える。

いずれにしても、僕の予想ではいつか日本の街から電線が消え、残されたわずかな電線と電柱の密集街区が文化財指定される日が来ることになっている。

2/24/2006

Kumano - 熊野 - a sanctuary


霧の那智
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大門坂
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Kumano is the Japanese sanctuary. But, there is no boundary in this sanctuary. Pilgrim to three shrines of Kumano is permitted only walking. Pilgrims while repeating the ceremony, walks the mountain path from Kyoto to Kumano. Fear to nature and this body and mental experience gives meaning as sanctuary to the space.
World Heritage


【 Japanese 】
人と空間の関係は常に不可解なものである。例えば、誰しも荘厳な教会や静寂な寺院では、信仰心によらずとも「聖なる」という感情を覚えた経験があると思うが、そこには人と空間の関係の秘密が隠されている。そこで、この興味深い現象について、日本の聖地である熊野を取り上げて考えてみたい。

平安より続く熊野詣は、京都から徒歩で聖地熊野の三社をめざす巡礼の旅である。熊野が聖地とみなされた理由は、京都からの方位、紀伊山地により地形的に閉ざされていること、修験の台頭、浄土思想の広がりなどいくつもある。

しかし、熊野には他の世界的な聖地にみられるような城壁や塔など聖域の境界や象徴はない。巡礼者は藤原定家の日記にあるように、ただ険しい山道を歩き、自然への畏怖におののきながら儀式を繰り返し、案内人である修験者が示す聖なる記しにより聖域へと入っていく実感を覚えることになる。

また、熊野は日本においてもきわめて雨が多い地域で、地形地質も特殊であり、景観や気象により異世界を感じることができる地域である。すなわち、この複雑な身体的・精神的経験が空間を「聖別」させるのである。

ところで、意識してみると、人は聖域においてのみでなく、私の「部屋」や「街」など、日常的に空間に意味を見出していることに気がつく。何がその現象のきっかけになっているのか立ち止まって考えてみると、とても面白いと思う。

1/22/2006

The tower in the snow


tower01
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昨日は東京は久しぶりに雪だった。僕は前から写真を撮りに行こうと思っていたある塔へと向かった。

本当は空と雲を背景に撮りたいと思っていた。朝起きると雪が降っていて、いつも通勤電車の中から眺めている塔を思い出した。きっと幻想的な風景になっているだろう。午前中の会議の後、その足で赤羽へ。

僕は建築として評価するだけの知識がないので、単純に印象でしか表現できないのだが、コンクリートのシンプルな造形は非常に美しいと思う。雪は全てのイメージを変えてしまうけれど、この塔は雪の日の方が僕の抱いているイメージに合っている。まるでカフカの『城』のようにいつも見えているのに誰もそこへは行けない。そんな感じである。あるいはラプンツェルが幽閉されている塔を思い出させるかもしれない。とにかくあの塔で何が行われているかは誰も知らないのだ。権威や信仰の象徴、どのようなかたちであれ塔は常に沈黙の存在であり我々の生活とはかけ離れた存在である。

しかし、現代にそんな童話的なものが存在しうるのか。タネを明かせばこういうことである。実は、この塔では何も行われていないということだ。正確には塔ですらないのだから。これは、 石山修武氏の設計による東京都北区の清掃工場の煙突である。そこには何もないということである。しかし、この街ではこの塔がケヴィン・リンチがいうところのランドマークであることは間違いない。この街で毎日おこるありとあらゆる出来事の背景にはこの塔がそびえている。

塔とは都市にとってなんであるかという建築家・故内井昭蔵氏の講演をむかし聞いたことを思い出す。うろ覚えだが塔は世界につながる大きな樹の象徴であるといったような話だった。もう忘れてしまったので今解釈すれば、それは僕たち小さな存在を時間的にも空間的にも越えているものが中心にあることにより、我々の存在の錨となり、世界につなぎ止めてくれるということか。そして内井氏が関わった有名な塔のひとつが論争を生んだこのビルディングである。(六本木ヒルズより撮影)

そして答えの見付からないまま沈黙の塔だけが増えてゆく。


another tower
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