8/08/2005

Strength of scenery


OMIHACHIMAN
Originally uploaded by Yoichiro.


都市計画家協会が主催するルーフスケープ(屋根景観)コンテストで「近江の景」という作品で金賞を頂き、8月7日(日)、日比谷公会堂で表彰を受けました。

はじめて受賞のお知らせを頂いたとき、何かの間違いじゃないかなと思った。あまり写真としてはいいできじゃないと思っていたから。ではなぜこの写真を出品したのか。

この写真は琵琶湖の湖畔の風景を近江八幡の八幡山から写したもの。5月の暑い日、ロープウェイで八幡山の上に着いたのはもう午後3時をまわった頃で、湖と水田は傾いた陽を反射して、目を開けられないぐらい光っていた。水蒸気で全てがかすんでいるし、逆光のため、僕ではまともに撮れないだろうー。でも、ファインダーを覗いたのは、圧倒的な風景の強さのせいだったと思う。

良く撮れたと思う場合が2つある。1つは、自分が「見つけたもの」を「見せたいように」切り抜けたとき。もう1つは「(おそらく誰がみても)すばらしいもの」のすばらしさをできるだけ「損なわずに残せた」とき。少し悔しいが、実感としては後者の方が綺麗な場合が多い。

八幡山からの風景は、そんな意味で僕が切り抜くというよりも、そのまま写しとりたい風景だった。銀色にひろがる湖面、空を映すグリッドの水たまり、小さな丘、遠くの山並み、まっすぐな道、そして水面に浮かぶ幾つかの黒い集落。とても強い風景。

「強い」というのは、記号作用によって、僕の中に見えない像を結ぶ強さもあるけれど、それ以上に単純に光として網膜に焼き付く像の力強さ、知識と結ばれる必要のない、網膜的・身体的な風景の力強さのこと。結果として写真はやはり上手くはなかったけれど、消しがたい風景の強さは残ったのかもしれない。

ところで、本当に風景に強さなんてあるのだろうか?それは僕たちにとってどんな意味を持っているのだろうか?
これからも写真を撮りながらそんなことを考えたい。酔狂。

で、コンテストのことだけれど、付け加えると、選んで頂けた一つの理由には、主に屋根を中心に撮っている作品が多かった中で、「屋根がある風景」を撮った写真だったからということもあるかなと思う。都市計画家協会のみなさま、祝ってくれた方々、そして、写真部門委員長で本当にすばらしい『写真都市』にサインを下さった村井修さん、このような機会を与えて下さって本当にありがとうございました。

思い出として、郵政民営化関連法案の参院本会議採決を翌日に控えた小泉首相が、シークレットゲストで突然会場に現れて、大いに盛り上がったことも付記しておこっと。

7/29/2005

Sculpture


my sky hole
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【Japanese】
彫刻は置かれるものである。もしかすると置かれない彫刻というものもあるのかもしれないけれど、かたちのあるものである限り、まあ、まずどこかに(例えば真っ暗な倉庫の中であったとしても)それは置かれるだろう。カレーの市民のところでも書いたけれど、彫刻には置かれる場所がある。

空の穴は、空にあいた穴?空を切り抜く穴?

これは僕が好きな彫刻作品。たぶん見たことのある人も多いはずだと思う。大きな作品の一部だけを見ているから一体どんな作品なのかわからないと言われるかもしれないけれども、この作品のタイトルは『my sky hole』。

僕は、この写真に写っているものを彫刻だと言っても差し支えないのではないかと思う。この彫刻をみるとき、彫刻にとって置かれる場所がどんなに重要かということを考える。あの空がなくなってしまったら、この作品はきっと台無しである。こういうのもEarth Workといえるんじゃないかな。その辺については、もう少し勉強してからいつか言及したい。

ところで、この作品は穴のあいた大きな銀色の球体である。だからこの作品には周りの全てのものが取り込まれる。黒い穴のあいている部分を除いては。だから、空にも穴があくのである。

この美しい彫刻は、東京都美術館の広場に「置かれて」いる。


井上 武吉 Bukichi Inoue 『my sky hole 85-2 光と影』
TOKYO METROPOLITAN ART MUSEUM

7/18/2005

HAUS・HYAZINTH


HAUS_HYAZINTH1
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HAUS_HYAZINTH2
Originally uploaded by Yoichiro.



This is a house that a young poet designed. After 65 years had passed since he had died, it was built. He died at the age of 24 though he was a fine poet and a fine architect.

【Japanese】
今日は休みだけれども暑くて遠出する気にはならなかったので、最近気になっていたヒアシンス・ハウスを見に行くことにした。


「ヒアシンス・ハウス(風信子荘)」は詩人で建築家であった立原道造が、別所沼の畔に思い描いていた週末住宅である。立原は、平面図やスケッチだけを残して24歳で死んでしまったが、これこれのことがあり、詩人の死後65年たった去年、その小屋は建てられたのである。
立原の構想では別所沼の東に建てる予定であったが、今は西側に建って居る。今は公園になっているので、かつて彼の窓に求めていた景色はここにはもうないだろう。それでもヒアシンス・ハウスは面白い。

小さくて簡素な建物である。彼は窓にこだわった。大きな窓が南東にとられており、今は別所沼を臨んでいるが、本当はこちらは沼ではなく、ベッドサイドの小さな窓から沼がみられるように考えられていた。
今は北東の角に小さな流し台が付け加えられているが、立原の図面には便所も台所もない。本当にここで暮らすつもりがあったのかと思うが、すぐ近くに交流のあった詩人の居宅があり、そこの便所を借りるつもりだったという。

でも、彼はヒアシンス・ハウスの構想から2年で死んでいる。僕は何となく彼は死の影を感じていて、言葉だけをこの小屋に詰め込もうと考えたのではないかと思ってしまう。彼の詩のように。彼の詩集はとてもビジュアルである。14行の詩が、小さな版画と共に、譜面のような大きな紙にレイアウトされている。