大都市軸 Axe majeur
Axe majeur 04
Originally uploaded by Yoichiro.
Axe majeur 05
Originally uploaded by Yoichiro.
Earthworks has left the city to deny the white cube. However, a lot of earthworks are in the city today. I think a modern identity-less city requests the sitespecific art. ‘Axe majeur’ in Cergy Pontoise is the one example.
【 Japanese 】
フランスへ旅行に行った。今回は、あまり見るものを決めずに行こうと思っていたのだが、せっかくだから一カ所ぐらいはと、パリの北西、セルジー・ポントワーズ Cergy Pontoiseに行った。彫刻家ダニ・カラヴァン Dani Karavanの「大都市軸 Axe majeur 」を見るために。
セルジー・ポントワーズは、セーヌの支流、オワーズ川の段丘上に築かれた新都市である。そして、その丘の上の塔を起点とする強い軸線は、坂を下って、12本の列柱を通り抜け、池に向かって階段を下り、パリを指している、ということである。ここに立ってそれを確かめることは不可能ではあるのだが。
パリの衛星都市なのだから、パリとの関係によって成り立つ。そのことを象徴する軸線が一直線に刻まれ、新都市の秩序の基線となる。
そんなものが、一体なぜ都市に必要なのか。そして、なぜその機能が芸術作品に求められたのか。僕の興味は、まあそんなところだったと思う。
ところで、もし「大都市軸 Axe majeur 」をアースワークと呼ぶとしたら、かつてのアースワークとの間に線を引かなければならないだろう。つまり教科書的にいえば、アースワークには特定の場所との関係により成り立つ、サイトスペシフィックであるという側面に加えて、空間も時間も文化も越えて交換可能なホワイトキューブへの反発として、人跡未踏の地にとうてい美術館には納まらない作品をつくるという側面があったはずである。(結局、作品は写真になってホワイトキューブに帰ってきたというオチはあるけど・・・。)
然るにこの作品はパリから電車に乗れば、1時間もかからずに気軽に見に行けてしまうのである。たいした知識があるわけではないが、こういう「気軽に行けちゃうアースワーク」は、本来のアースワークとは対照的に増えているような気がする。これは、結構面白い現象なのではないかと思っているのである。
そんなことについて何となく考えていると「ホワイトキューブ化された都市に、サイトスペシフィックな芸術作品が求められる」という命題が浮かび上がってきて、現代的な都市を象徴する現象かもしれないなと思った。本来、人間にはここが何処であるかを保証するものが必要なのだと思う。
ランドスケープアーキテクト的な言葉では、「眠る地霊を呼び覚ますか、虚構の地霊を祀るか」といったところか。カラヴァンの作品には、どちらとも取れるところがあるが、見る側もきっと両方に魅力を感じるのだと思う。
参考
※これを書きながら「サイトスペシフィックな生活」という言葉が浮かんだのだけれども、ウィーン分離派のいうところの「綜合芸術」と近い言葉だと感じている。いつかこのことについて考えたい。