4/23/2006

Wired Sky


Wired_Sky01
Originally uploaded by Yoichiro.



僕たちが生まれたときには空はすでにこんなだったので、日頃は全く違和感がないわけだが、眼鏡の汚れと同じで、ふと気が付いてしまうと、とても目障りになってしまう。眼鏡の汚れならば拭けばよいが、この街中に張り巡らされた線はそういうわけにはいかない。日本の都市景観の話になると必ず電線の話が持ち上がり、埋めるという解で落ち着くことになる。しかし、実は車道に埋めるとなると深く埋めなければならずコストがかかってしまうので、十分な幅の歩道がないとなかなか埋められないのである。それにいくら歩道があっても手当たり次第に埋めるというわけにはいかないだろう。僕の敬愛するO先生はこの話になると、いらなくなった電柱がどうなるのかということが気になるといつもおっしゃっていた。

そういえばO先生は、僕の先輩が電線のある風景も絵になると言ったことに触れ、あれはない方が良いに決まっていると言っていたような気がする。先輩の言うことも分かるし、O先生が否定した理由も分かる。僕らの共通の関心事はあれが文化的にみえるかどうかということだろう。

竈からあがる炊煙なんてない時代、あの線が目に見える人の生活の象徴といえなくもない。惜しむらくは、外からあの中に何が流れているのか全く分からないことだ。非常にスタティックなあの真っ黒い線は、圧倒的な必要性から我が物顔でのさばっているようにみえてしまう。謙虚さもあれば、少しは可愛げがあったかもしれないが疎まれて当然とも思える。

いずれにしても、僕の予想ではいつか日本の街から電線が消え、残されたわずかな電線と電柱の密集街区が文化財指定される日が来ることになっている。